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童謡の日

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こんにちは。
採用担当の川嶋です。^^

今日7月1日は「童謡の日」です。
大正7年(1918年)7月1日に、初の児童文芸誌「赤い鳥」が刊行されました。
この日を記念して制定されたそうです。

「赤い鳥」とは、小説家であり児童文学者である鈴木三重吉が創刊した児童向けの雑誌で、童話や童謡が掲載されていました。
1918年7月1日の創刊から1936年8月の廃刊まで、18年間子どもたちに親しまれました。
創刊号には芥川龍之介や泉鏡花、北原白秋などが作品を提供しています。
以後、文藝春秋の創刊者で「父帰る」や「真珠夫人」の作家菊池寛や詩人西條八十、「春琴抄」や「細雪」の作家谷崎潤一郎らも作品を寄稿。
鈴木三重吉が宣言した「芸術味の豊かな、即ち子供等の美しい空想や純な情緒を傷つけないでこれを優しく育むやうな歌と曲」を創作する運動。
それに賛同した作家たちです。
この運動は、誌名を取って「赤い鳥運動」と呼ばれるようになりました。

ちなみに、当時掲載されていた作品には、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」や「杜子春」、新美南吉の「ごん狐」など、今も読み続けられている名作がありました。

童謡には、わらべ歌や子供たちの書いた詩なども含まれますが、大人が子供に向けて創作した「芸術味の豊かな」歌、いわゆる「創作童謡」の最初は西條八十の詩を元にした「かなりや」でした。
歌を忘れたかなりやは~♪というあれです。

昭和12年に発行された「日本童謡全集」には、この詩を元に、西條八十が物語を書いています。
どれだけ待っても鳴かなくなってしまったかなりやに、子どもたちは罰を与えようと相談しますが、そんな子どもたちにお母さんが言います。

「誰にでも仕事のできないときがあります。こういうとき、わたしたちはそれを大目に見てやらなければいけません。ほかの人たちには、なまけているように見えてもその当人は、なにかほかの人にわからないことで苦しんでいるのかもしれません。(中略)だからみんなでいじめずに気を永くして待ってやりましょう」

そして最後に西條は「みなさん、ほんとうに悩んでいる者に同情してやりましょう」とくくっています。

昭和12年に発行された本に寄稿された文章です。
今の時代に、一番必要なことを言っているのではないでしょうか。
西條は子どもたちに「他者を思いやる心」を持ってほしいと書いたのでしょうし、童話や童謡は教訓を織り交ぜてあるものです。
むしろ今、大人の方が読まなければいけないのかもしれません。

童謡の日である今日、童心に帰って童話や童謡に触れてみてはいかがでしょうか。(✿´ ꒳ ` )