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乃木神社

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こんにちは。
採用担当の川嶋です。^^
下関市長府にある「乃木神社」ご存知ですか?
私は前を通ったことはあるのですが、実際に参拝したことはありません。
記念館もあるらしい(こちらの方が神社より先のようですが)ので一度行ってみたいです。

この「乃木神社」に祀られているのは、乃木希典(のぎ まれすけ)です。
日本の武士であり、陸軍軍人であり、学習院の第10代院長。
1912年9月13日明治天皇崩御の大喪の礼ののちに後を追って自刃しました。

長府は希典が幼いころ過ごした場所です。
16歳で学者を志して出奔。徒歩で長府から萩へ向かいました。
萩藩の明倫館に通い、一刀流剣術も学んだ希典は目録伝授されるほどの腕前でした。

以後、第二次長州征討が開始し、萩から長府へ呼び戻された希典は小倉戦争に加わり、奇兵隊の山縣有朋の指揮下で戦い武功を上げました。
学者となるか軍人となるかの決断を迫られ、軍人の道を選んだ希典は、22歳で推挙を受けて陸軍の少佐に大抜擢されるもその2年後に4ヶ月の休職を経て陸軍卿伝令使となります。
この頃の希典は夜遊びばかりしていて、山縣有朋に怒られるほどだったとか。

秋月の乱、萩の乱などを経て西南戦争に従軍します。
西南戦争後、旧薩摩藩の藩医の娘と結婚するんですが。
明治くらいまででしょうか、この時代の人は割と改名してる人が多い様です。
希典は子どもの頃の名前は「無人(なきと)」でした。その後源三と改め文蔵、希典、と変えています。
結婚相手も結婚当初は「お七」でしたが、結婚後「静子(静とも)」と改名しています。

その後36歳で少将となり、ドイツへ留学。
数度休職したものの、旅順攻囲戦の指揮手腕により日露戦争を代表する将軍、と国際的に評価されています。
降伏したロシア兵への寛大な処置なども評価されています。
ドイツやフランス、チリやルーマニア、英国などの王室や政府から勲章を授与されました。
まさに世界的に知られる日本の英雄です。

58歳で学習院の院長に就任した希典は寄宿舎を建てて学生たちと寝食を共にし、多くの学生たちに慕われました。

そして1912年。
64歳で自刃。
妻の静子も傍で自害しました。

愚将か名将か。
一方では戦下手。一方では英雄。
とらえ方は人それぞれということなのかもしれません。
賛否はあるものの、日本の各地に乃木希典を祀った神社があります。

長府の乃木神社の記念館に行ってみたら、その人となりがほんの少しは見えるかもしれませんね。(✿´ ꒳ ` )